長編小説『悪魔の正しい死に方』
終章 悪魔の正しい死に方
目が覚める。天井はいつもと変わらない。息を吐くと、頭の中を大声がつんざいた。
『正継ー!! おはよー!!』
思わず耳を押さえるが、黒永の声は大きいままだ。
『朝だよ! 起きて! おっはよー!』
「うっせぇアラームだな、わかってるよ」
安藤は渋々起き上がり、台所から持ってきた菓子パンを食べる。
『今日は何するの~?』
「読書」
『えー! せっかくオレがいるのにぃ』
「お前がいようといなかろうと関係ない。俺は俺のペースで動く。言っとくけど読書中は邪魔すんなよ」
『オレがどこにいようとフヘンのルールだね、わかってるよ、ちぇ』
安藤は読書をする。三冊目を読み終わる頃には三時を過ぎていた。
「昼飯作るか」
『何作る? ラーメン? ギョウザ? 担々麺?』
「全部お前の好きな中華メニューじゃねぇか。テキトーに冷凍チャーハンだよ」
『また栄養偏ったもの食べてる~』
「お前が挙げたのも大概だろ」
チャーハンを作って食べる。黒永がうれしそうな声を上げる。
『チャーハンおいし~』
「文句言いつつ結局味わってんじゃねぇか」
『なんだかんだ冷凍物っておいしいよね』
「ま、確かにな。侮れねぇ」
食後、読書を再開し、夕方になる。
『よし、今度こそ料理作ろ!』
「めんどくせぇ」
『やだー! オレは料理が作りたいの。冷蔵庫開けるよっ』
「ちょっ、おいっ」
体が勝手に動き、冷蔵庫を開ける。
『なにこれ、スカスカなんだけど!』
「しょうがねぇだろ、めったに料理しねぇんだから、食材余ったって腐らせるだけだ」
『じゃ、買いに行こっ』
体が腕から引っ張られ、つんのめりながら玄関に向かう。靴を履く前に自分の意思で足をとどめる。
「ちょっと待て、なんでお前、俺の体を操ってんだよ」
『あれ、なんでだろ? なんかできる気がして、やってみたらできちゃった』
安藤はため息を吐く。
「俺、この先お前に振り回されっぱなしなのかな」
『でもそういうのが楽しいんでしょ?』にやついた声だ。
「自惚れんな。朝も言ったけど、俺は俺のペースで動く。俺が行くって決めたからスーパーに行くし、料理もする」
『ふ~ん?』
「ほら行くぞ。で、何作る気なんだ」
『スーパー行ってから決めよ!』
「無計画な奴だよまったく」
スーパーへ行く道すがら、どんな料理が作りたいかを黒永と挙げ合った。
夜になるまで黒永とああだこうだ言い合う。夜、布団に入った安藤は、傍らに置いていたイルカのぬいぐるみをなでた。
『気に入った?』
「まあな。最近はここになじんできてる」
『ふふん、オレが買ったんだよ』
「めちゃくちゃだだこねてな」
黒永があくびをする。
『正継、おやすみ~』
「ん、おやすみ」
黒永の声が止む。安藤は目をつむり、暗闇を見ながら考える。
今日一日だけでもいろいろなことがあった。体を使ったわけでは無いのに、全身が疲労感に満ちている。
京極いわく、一週間から一ヶ月は黒永がいる状態に慣れないとのことだ。黒永とは魂の機能で会話している。魂の機能は人間が使うには体力のいるもので、通常は訓練して身につけていくものだ。それを段階を踏まずにいきなり使っているのは、運動不足の人が全力でジョギングするようなものだそうだ。
でも今日疲れているのはそれだけではないよな、と安藤は思う。とにかく黒永はやかましい。まず声がうるさいし、ああいえばこういうし、言葉でも行動でも安藤を振り回している。こんなのが毎日続くのか、と安藤はため息を吐く。
ふと頭をよぎる。一年前の自分はどうしていただろう。無心で仕事をしていたか、無心で読書をしていたか。ずっとそうして過ごしてきた。その感覚は今でも思い出せる。死んでもいないが、生きてもいない、そんな時間だった。
安藤は寝返りを打つ。明日は黒永より先に起きて驚かせてやろうと思った。
黒永の魂と暮らし始めてから約一ヶ月経つ。
安藤は黒永がいる状態に少しずつ慣れてきた。かつては言葉を口に出さないと黒永と会話できなかったが、今は頭の中だけで会話することができる。自分の思考と黒永との会話の区別もつくようになってきた。黒永の表情も少しだけ想像することができる。
朝、朝食を食べていると、黒永がにやつく。
『ふっふっふ。正継、今日何か気がついたことない?』
口はパンを食べたまま、頭の中で黒永と話す。
『誕生日おめでと』
『しょっぱい! 反応が!』
わめく黒永を無視してパンを食べ続ける。黒永はしょぼくれた後『そういえば』と疑問を口にする。
『オレって何歳なんだろ? 二十? それとも死んだ日から数えて、ええと、十七?』
『確かにどう数えればいいんだろうな。ん……、俺と同い年でいいんじゃね』
『正継が言うならそれでいっか。じゃあ、オレもお酒飲めるね!』
『お前は前から酒飲んでただろ』
『正継に言われて止めたもん!』
『はいはい』
安藤はパンの袋をゴミ箱に捨てる。縁に当たって外側に落ちる。安藤は四つんばいでゴミ箱に近づき、袋をゴミ箱に入れ直す。
『こーゆうのって、魂の機能? で浮かせられないのかな』
『どうなんだろうな。今度京極さんに聞いてみるか』
『えー、アイツにまた会うのかぁ。なんか苦手なんだよねアイツ』
口をとがらせる黒永が見える。
『そう言うな。そうだ、今日仕事終わったら酒買いに行こう。好きなの買ってやる』
『やった! 何飲もうかなぁ』
機嫌を直した黒永に安藤は苦笑する。
『飲むのは俺だけどな』
『つまりイッセキニチョーってヤツだね。正継と一緒に楽しめるわけだ』
『相変わらずポジティブな奴』
安藤はパソコンの電源を入れて、仕事の準備を始める。準備をしながら考える。
これからも日々は続いていく。いつか正しい死に方をするときまで生きていく。だが実際そうしていけるかはこれからにかかっている。
それでも、と思う。黒永となら、そんな日々も過ごしていける。
自分のことは自分で決めていく。いつだって正しさを疑って、それでも本当の正しさを選ぶ。何度も悩んで、誰かとぶつかって、転んで、手を差し伸べられて、また前を向いて歩いて行く。大事な人が幸せを望んでくれるなら、すべての責任を抱えて、それでもともに幸せになる。そうして人生の最後には、正しく生き抜いたと胸を張る。
これが悪魔の正しい死に方だ。
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