姫ジジョウ二次創作中編小説『歌わない死体』試し読み
注意書き
- 姫宮恋と仄淀ジトルが登場する非公式二次創作小説です。
- 姫宮恋と仄淀ジトル以外は架空のUTAU音源・マスターです
- 死ネタ・微ホラー表現があります。
- UTAU音源のアンインストール・マスターの様々な行為に関して否定的な表現があります。
これらは作中のみの概念であり、決して実際の行為を批判するものではありません。
本編
マンションの部屋部屋にはUTAU音源たちが住んでいる。うちのボイスフォルダはマンションの形なんだと、ここに来たUTAU音源は誰からともなく教えられる。鍵のかかったドアの並びの中に、ポツポツと、開け放たれたドアがある。中は家具も生活感も無く、新居のようにきれいで、ネームプレートには黒いガムテープが貼られている。この部屋の前を通り過ぎただけでは、元々誰が住んでいたか思い出せる人は少ないだろう。
三階の廊下を走っていた少年は、開け放たれたドアの前で立ち止まる。
「おい友利、何止まってんだよ。リーダーは俺だぞ」
友利よりも先を走っていた子どもたちが戻ってくる。先頭を走っていた赤い服の少年が友利に詰め寄る。友利はドアを指さした。
「ねぇここ、昨日まで人が住んでたよね」
「そうだったけ?」小太りの少年が半ズボン姿の少女に質問する。
「もしかして、昨日アタシたちにお菓子くれたお兄さんじゃない? 金髪の」
「オイそんなことよりさぁ」
「学生服着てて、スマホにウサギ付けてた」
「あーあの人かぁー! 手作りって言ってたね」
「止めろよその話」
リーダーを自称した少年がかみつくような口調で会話を遮る。顎で指した先では、二人の大人が迷惑そうに友利たちを見ていた。子どもたちの視線に気がつき、何食わぬ様子で楽しくおしゃべりを再開する。
「行こうぜ」
その言葉と共に、子どもたちは再び走り出す。友利は先頭を走る少年に聞く。
「ねぇ、なんでいなくなった人のこと話しちゃいけないの」
「知らね、大人が勝手に決めたんだ」
「なんで大人はそんなこと決めたの」
「お前なんでなんでっていっつもうるせぇよ」
「そんな言い方無いでしょ。ごめんね、友利くん最近来たから知らないよね」
そう言って少女が友利に笑いかける。
「それより今日『開かずの部屋』行こうぜ」
「開かずの部屋ってどっちの?」
「四階のトイレって約束はぁ?」
話題から昨日のお兄さんは消えて、今日はどこを探検しようと会話が弾んでいく。
話に交ざりながら、友利は昔あったことを思い出していた。UTAU音源になるよりずっと前の、父に叱られた記憶だ。
家の倉庫で本を見つけたことがある。五歳の友利には持つのも精一杯の黒い分厚い本には、色とりどりの御札がやたらめったら貼られていた。整頓された書庫ではなく、ゴミため同然の倉庫に埋め立てられていたそれを、洞窟から持ち帰った宝物のように父に見せた。
褒められると思っていた。振り上げた手はなでるためではなく殴るためにあり、父は友利の胸ぐらをつかみまくし立てるような早口で怒鳴った。普段温和な人だったので、傷つくよりまずひどく驚いたのを覚えている。本は取り上げられ、その後倉庫に入ることは禁止された。
聞いてはいけないことなんだと思う。黒い本も、人が消えた部屋も。
今にして思えば、あの黒い本はとても危険な物だった。それは父にとって、幸せな家庭の存続を脅かす物で、多分自分には知られたくない物。つまりこのマンションに住む人たちにとって、人が消えた部屋は、黒い本と同じなのだ。
友利は廊下を走りながら、あのお兄さんにまた会えるといいなとおぼろげに考えた。
自販機の前には誰もいない。壁から様子をうかがっていた仄淀ジトルは、キョロキョロしながら自販機に向かう。ズボンのポケットからたんまりと小銭を出し、銀色の物だけ選り抜き自販機に投入する。「何が何円かわからなかったらとりあえず銀色を三枚入れとけ」という至言に従えば、大量のおつりと引き換えに飲み物が一本手に入った。
急に視界が真っ暗になる。焦りは目を覆った手の感触に気づいて薄まった。背後から声がする。
「だーれだ」
「……おどかさないでよ、姫宮君」
仄淀の目を覆った手がどいて視界が開ける。手の主である姫宮恋がいたずらっぽく笑い、飛び跳ねながらイスに座る。
「だって散歩してたら仄淀発見してさぁ、これは、やらなきゃ!
って思って」
仄淀は取り出し口からペットボトルを拾い上げ、「だからって」と口をモゴモゴさせる。コイン返却口から銀色一枚と銅色七枚をすくいポケットにしまう。見るからに膨らみ垂れ落ちたポケットも、動く度ジャラジャラ鳴るのも恥ずかしかった。この一連の流れを見られないよう人のいない自販機を狙って来ているのに、どうして見つけてしまうんだろう、と少し恨めしい。
「仄淀ご飯食べ行こ~」
仄淀の気も知らす姫宮はのんきに伸びをしている。
窓も無く殺風景な自販機周辺と違い、食堂は人と光であふれていた。マンションの二階を半分占める広い食堂は、壁一面張られた窓からの光を浴び、老若男女、人や獣、妖怪、機械、洋装も和装も雑多に入り乱れている。見える範囲は全て満席で、最近のコスメ、面白い配信者、近頃の若者、いろいろな話題が音の洪水になって体に響く。仄淀はここに来るといつも軽いめまいを起こしていた。
「あ、姫宮じゃん」
「恋ちゃんまた彼氏とデート?」
入り口付近の席を占拠する学生たちが姫宮をからかう。猫背の仄淀はいっそう縮こまり頬を赤らめる。
「もーそんなんじゃないっての!」
「お似合いだと思うけどなぁ」
金髪ギャルの言葉で学生たちがゲラゲラ笑い出す。そこまで馬鹿にするほど似合わないのかと傷つきつつ、釣り合いの悪さは自分が一番わかっていた。
「恋今日ゲーセン来るー?」
「十五階のルリがさぁ」
「今週の『魔法大戦』やばいぜ」
「行く行くー! えルリどしたん、やばー後で貸して」
矢継ぎ早に湧く会話はもう仄淀には追えないほどの早さで生まれては消えていく。どこが話題の始まりで終わりだったかも聞こえないうち、
「仄淀お待たせ! 列並ぼっか」
姫宮が戻ってくる。
「お友達はもういいの」
「全然全然、てかはよ食券買お、俺はらぺこ」
食券機の列に並ぶと、仄淀と姫宮の間にだけ会話が無くなる。姫宮はニコニコしたまま待ち遠しそうに小躍りしている。仄淀は何か話すべきかとモジモジする。いやでもむこうから話しかけないってことは話したくないってことじゃないかな。大体何を話せばいいんだろう。あ、ケイロホフマイ島にいたスワクマフーマイ鳥の話なんてどうだろう、ピンク色でフワフワしてて可愛いし、姫宮君可愛いものが好きらしいしな、そうだそれにしよう、と決意を固める。
「仄淀どれ食べんの」
「えっ!?」
「ほら、食券」
姫宮が食券機を指す。考え事をしてる間にたどり着いていたようだ。頭がすでにスワクマフーマイ鳥になっていた仄淀は、ボタンに書かれた名前から料理を思い出すのに苦労する。左上から順に見て、背後で男の舌打ちが鳴った頃、ようやく一つ思い出せた。
「えーっと、この、うどん? にする」
「単品?」
「うん」
「じゃあ銀色三つ茶色四つ。銀は穴開いてないやつね」
言われたとおりの硬貨を取り出し、差し出された姫宮の手に乗せる。姫宮は慣れた手つきで自分と仄淀の食券を買い、進んだ先で係の女性に渡す。
カウンター前を道なりに歩いて、受付から、仄淀はうどんを、姫宮はカルボナーラを受け取り、食堂の角にあるボックス席に座る。部屋の中心から逸れると喧噪が少し落ち着いた。仄淀は麺をつまみ、入念に息を吹きかけて冷ます。そっとすすると、ほどよい温さが口を満たした。
「うげ」
姫宮が苦い顔をする。フォークにはピーマンが刺さっていた。姫宮は丁寧にピーマンを選り分け、それを素早い手つきで仄淀のうどんに並べていく。
「……姫宮君、それするの五回目だよ」
「そうだっけ」
「そうだよ。確かそれ、白い細い麺のあれ頼むのは三回目。……君まさかわかってて」
「カルボナーラは食べたいけどピーマンは食べたくないのぉ」
姫宮は駄々をこねる。仄淀はため息を吐きながらも、うどんと絡めてピーマンを食べる。
「なんだかんだ食べてくれるじゃん」
姫宮がニヨニヨ笑う。
「次は無いからね」
「俺はピーマンを食べてくれる仄淀が大好きだよ~」
それってピーマンを食べないなら縁を切るという脅しなのか、と仄淀は困惑する。姫宮は満足げにピーマン抜きカルボナーラをかき込み、「うどんもうまそうだな~」と言って丼をのぞき込む。一本つまんで差し出すと、目を輝かせながらついばむ。おいしい、ありがとう、と言う口をゆで卵で塞ぐ。
こういう人は気にしないんだろうな、と思う。裏のありそうな軽口も、人の物をせがむことも、何も考えないでやってるんだ。こういう人たちが互いにそういうことをし合っても、気にしない同士だからわざわざ裏を探ったりしない。そんな普通のことに意味を求める自分の方が異端なんだろう。
「そんなことないって!」
姫宮のその言葉に仄淀の肩が跳ねる。自分の思考を読み取られたのかと焦ったが、姫宮は隣のテーブルの人と話していた。
「ねー仄淀、ちょーど今ピーマンあげちゃったもんね」
「あ、うん」
聞かれたことは事実なものの、話の筋は見えなかった。隣のテーブルにいたのは、ボサボサの長髪によれたジャージを着た中学生くらいの子と、玉のようなツインテールに品のあるブラウスを着た小学生くらいの子だ。中学生の方は無心でカレーを食べ続け、小学生の方は特に何も食べず、透けた体を背もたれに乗せてくつろいでいる。
「姫宮さんみたいなすごい人にも苦手なものあるんですねぇ」
小学生の方が言う。
「ええ~すごいだなんてそんなぁ」
姫宮は目に見えてデレデレする。
「わたしも姫宮さんみたいに、マスターにたくさん歌わせてもらえるかな」
「ノノンちゃんたちならきっとすぐだよ」
突然、金属を強くたたきつけた音が鳴る。中学生の方が、スプーンを皿に突き刺した音だった。
「イカれてるぐらい脳天気だな」
中学生は地を這うようなガラガラ声でうなる。
「何が『きっとすぐ』だ。オレたちもうここに来て一年経ってんだ。まあ何も考えてないアンタはいちいち有象無象の音源のことなんざ覚えてないんだろうが」
「ちょっとモモカ」
「いいよなマスターの『お気に入り』どもは。アンタなんか『実子』だ。それだけで存続安泰だもんな、末端なんて気にならないよな。理由無く明日が来ると思ってる。そのほうけた面見る度反吐が出る。死にたいなんて思ったことも無いんだろ」
顔を覆う前髪からクマだらけの潰れた目がにらみつける。
「なんとか言ったらどうなんだ? それとも図星すぎて頭真っ白になったか?」
仄淀はすがるように姫宮を見る。姫宮から先ほどまでの笑顔が消えて、モモカをまっすぐ見つめている。その表情から感情は読み取れなかった。
モモカは舌打ちし、お盆を乱暴に取り上げ席を立つ。
「まだ残ってるじゃん」
「こいつらと食べてると飯が不味くなる」
引き留めたノノンの手を振りほどきモモカは人混みに消えていく。ノノンは人混みと仄淀たちを交互に見て、深く一礼すると、モモカを追いかけていった。
ノノンの背中が見えなくなるまで見守っていた姫宮たちだったが、やがて姫宮が切り出す。
「怒らせちゃったみたいだ。俺後で謝りに行くよ」
うどん冷めちゃうぞ、と言いながら姫宮はまたカルボナーラを食べ始める。
うどんをすすりながら仄淀は先ほどのモモカの言葉を思い出す。モモカの言葉には動揺したし、心が苦しくなったが、少しだけわかる部分もあった。
このボイスフォルダには約三百人のUTAU音源がいる。その中で歌ったことがあるのは三十人。定期的に歌わせてもらえるのは五人。
自分たちが恨まれるのは当然だと悲しみながら納得した。僕と姫宮君は五人の方。彼女たちは三百人の方。その三百人の行く末とはつまり、アンインストール、削除、僕らにとっての「死」だ。