とな天短編小説『秘密』
概要
- 拙作ゲーム『となりのクラスの知らないあの子は天使になったんだ』の短編小説です。
- 過去編です。黒井弥吉と令城談の話です。
- この小説は、短編集『まいにちを君と共に。』のうち一編を、一般公開用に再構成したものです。
本編
「いってきます」
声が誰もいない家の中に響く。玄関扉のドアノブにかけた手を見て、学生服の袖が足りていないことに気がつく。中学校の制服が一年も経たずに寸足らずになった。黒井は黒髪を掻く。
玄関を出ると、ブロック塀に令城が寄りかかっていた。令城はスマホから顔を上げて軽妙に笑う。
「おはよ」
「なぜ君がここにいる」
玄関を閉めて歩き出した黒井に令城はついて行く。早歩きの黒井に令城は小走り気味になる。
「どうせボクが来ることわかってたくせに」なれなれしく話しかける。
「僕はなぜ君がここにいるのかとしか聞いていない」
「まったく、つれないねェ」
令城はやれやれと肩を落とす。
「ほらこれ」令城が手を差し出す「誕生日プレゼント。今日でしょ?」
黒井が足を止める。令城の手元を見ると、黒いボールペンが握られていた。
黒井はすぐまた歩き出す。小さくなった歩幅を見て令城も歩き出す。
早朝の大通りにはほとんど人がいない。まだ山の中にいる日ざしが、大気に拡散して、薄紫の空が街全体をぼんやり照らしている。地上にいる夏の熱気はまだまだ薄く、時折肌をなでる風が少し涼しい。
「君は何を企んでいるんだ」
前を向いたまま黒井が言う。横に並んだ令城が頭の後ろで手を組む。
「今日は余るほどプレゼントを受け取るだろうから、渡せなくなる前に渡しておこうと思って」
「聞き方を変える」瞳だけで令城を見る。「君は僕に隠し事をするのか」
令城が目を細める。手を解いて背中を少し丸め、声の調子を落とす。
「このボールペンには盗聴器を仕込んである。お前なら、わかるようなとこにね」
黒井ははっきりと令城を見る。令城も黒井を見据えて、改めてボールペンを差し出す。
「信じる信じないは君の自由。……で、受け取るの、受け取らないの」
黒井は少し考え込んて、ボールペンを引き抜くように取ると、ズボンの左ポケットに差し込んだ。
道のずっと先に人影が見えた。黒井たちは角を曲がり小道に入る。黒井の通学路ではなかった。
「僕の生活音を聞いても面白くないだろう」
「そうかな?」
令城がにやりと笑う。
「お前にも恥ずかしいことの一つや二つあるでしょ。人気者の秘密、高く買ってくれる上客がいたりしてね」
令城は顎を上げる。
「ボクは雇われの身だから、損切りされないよう少しでも保険かけておかないと」
「君は自分の立場をわかってないらしい」
黒井は令城を見下すようににらむ。
「君の秘密を支配しているのは僕だ。君が君の母親に何を言ったのか、父親をどこに埋めたのか、知られれば居場所を失うのは君だろう」目を伏せる「君は僕の言うことに従い続けていればいい」
「確かに、気をつけま~す」
令城は大げさに笑う。拳を振り上げ一仕事終えたように肩を伸ばす。息を吐きながら肩を落として、呟く。
「ボクたちの関係はどこまでも秘密だらけだね」
黒井が目をそらす。令城は小さく笑いかける。
「でもこういう関係も悪くなかったりしてね?」
会話が無くなる。黒井が脇道に入っていき、令城が追う。中学校とは真逆だった。
道は誰も知らないような路地になる。道を隙間無く囲う建物が薄い日光をさらに遮り、道全体が暗い影になっていた。人が数人並んで通れるかという道幅になって、令城が黒井と肩を近づける。上で物音が鳴った。一瞬足を止めて見上げる。三階建ビルの外階段はもぬけの空だ。何か缶のような物が落ちる音だった気がする。
道の建物が歯抜けになって、道が少し明るくなった。
「秘密はいつか秘密ではなくなる」
黒井が口を開く。
「僕たちが始めたことはいつか世界中が知る。そうしたら、親を殺したことも、人を殺す計画のことも、人を殺した計画のことも、秘密ではなくなる。知られてもどうでもいい秘密になってしまう」
握った拳が力む。令城がうつむく。
「そうなったら、君は」
言葉が途切れる。道がはっきりと明るくなる。東の空が赤らんでいた。二人は立ち止まる。T字路に入っていた。右の道の遠くに大通りを通り抜ける車が見える。左の道はすぐ目の前に角があり、奥は建物で入り組んでいる。
「そうなったら、また新しい秘密を作ればいいよ」
令城の太ももから覗いた手が小さく左の道を指さす。歩き出す令城の背中に、黒井は導かれるように歩き出す。例えば、と令城が言う。
「例えば、今日二人きりの朝を過ごしたこと。二人きりで喧嘩をすること。二人きりの部屋で話すこと。個人的で、どうでもよくて、でもボクらにはとても重大な秘密を、これから先何度でも繕おう。誰にも言わないまま死のう」
令城の横に並ぶ。令城の、少し伏せたまぶたと、薄く開いた口が、どこか笑うような角度になる。「そしたら」、と令城が言う。
「世界を滅ぼす大悪党たちの、誰も知らない人並みの日常っていう、一番大きな秘密ができるからさ」
袋小路に入る。ブロック塀が囲み、知らないビルが空に伸び、朝が巻戻ったような暗い道で、二人は足を止める。黒井は立ち塞がるように令城の前に立つ。押し殺すような声で囁いた。
「今日ここであったことも、秘密にしてくれるか」
令城はうなずくように首を傾けて微笑む。
「誰も知らないかぎり、永遠にね」
黒井は距離を測るように一歩踏み込んで、令城の背中に右手を添える。肩甲骨の間、尾骨、腰骨と指先で触れなおして、背骨の一番凹んでいるところをそっと触れる。拳二つほどの距離まで令城を引き寄せてうつむく。令城は左手を黒井の腰に置く。
黒井は令城の服を握りしめる。口を開いて、何か言いかけて、飲み込んだ後、呟く。
「裏切ったら許さない」
令城は苦笑する。
「そこは素直に、僕を信じてって言いなよ」
黒井は何も返さない。令城は黒井の肩に顎を当てる。
不器用だな、と思う。秘密だけが君を繋ぎ止めている。ぼくらはどこまでも間違っていた。