愛まほ短編小説『後悔』

2024年12月14日

目次
  1. 概要
  2. 本編

概要

本編

魔方陣とは黒インクの編み物です。

ダイニングテーブルを覆い隠す紙には、縁から縁まで幾何学模様が描かれている。真円の中幾重にも編まれた均一な線は、全てわたしが描いたものだ。線は、分岐も含めれば、全て一本で繋がっている。

「美しい魔法だ」

テーブルを挟んで目の前に立つご老人が、顎に手を当ててうなる。彼はもう数十年前にはスーツを脱ぎ、今はスーパーの安売り品で身を包む。その目には、星が一つ輝いていた。

彼は独り言を続ける。

「無駄のない魔力効率、独創的な構造。私の不完全な魔法を完全に昇華している。間違い無い。これが蘇生魔法だ」

わたしは息を呑む。魔法学の父、千葉導玄が言うのなら、間違いない。

田中まほというのは凡な魔女です。それがどうしてか千葉先生の家に呼ばれ、自作の魔法を見ていただくことになりました。

先生は立ったまま魔方陣を見続けている。椅子に座っていたわたしは、膝をぴったり合わせる。

生きた心地がしません。しかし、もしお目にかかることがあれば、尋ねたかったことがありました。

「成功していたでしょうか」

見上げた先生を、まぶたに力を込めて見つめ返す。

「もし旭くんが使っていたら、この魔法は成功したでしょうか」

先生は顎を軽くなでると、もう一度魔方陣に顔を落とし、論じる。

「魔力の流れに滞りは無い。蘇生に法則があるならこの形をしている。要求魔力量も妥当。蘇生は成功していただろう」

わたしは固まっていた肩をゆるめ、しかめた顔でうつむく。

「……よかった。旭くんの死因は、蘇生魔法じゃないんですね」

膝の上で両手を握り込む。

「気がかりだったんです。魔法が失敗して旭くんは死んだんじゃないかって。先生の言葉を聞いてほっとしました」

少し間を置いて、先生がつぶやく。

「佐久真君は自死だった」

わたしは顔を上げる。先生は指全体で唇を引っ張りあげ、窓の先を見ている。

「記憶魔法で確認した。佐久真君は蘇生魔法を使わなかった。そして別の魔法を使い自死した」

わたしはためらいながら口にする。

「なぜ……先生は、死の瞬間をごらんになったのですか」

頭ごと目をそらした先生は、何度か口をなぞったり、首を落としたりする。それから、弱々しく言葉をこぼした。

「不安だったんだ」背中を丸める。「蘇生魔法が人を殺したのではないか。蘇生魔法を作った人間が、また、苦しむことになるのではと」

目元へと移った手は、視界を押しつぶしている。

「見るべきではなかったと思っている」

あの日のことがわたしの頭をよぎる。人が集まった病室。一人の男の死体と、砂の山。砂に埋もれた服は、佐久真旭くんのものだった。それを見て、魔法に触れると砂になる体質があることをようやく思い出した。

眉間を寄せ、下唇を持ち上げる。

「わたしのせいです」

握りしめた手にスカートがひっぱられる。

「わたしが蘇生魔法を作らなければ、こんなことには」
「……君のせいではない」優しい声で言う。「君の魔法は誰も殺してないさ」

瞳が潤んでいく。まぶたを押し閉じる。

「殺したんです」鼻をすする。「蘇生魔法だけじゃないんです。はじめからわたしのせいなんです。終くんも、旭くんも、わたしの魔法が殺したんです」

帽子のつばを耳元へ引き下ろし、背を丸め、首を落とす。

先生は静かに語り出す。

「今日君を呼んだのは、頼み事をするためでもあるのだ」

首とつばを下げたまま先生を見上げる。先生はテーブルに手を置き、目で訴えかける。

「私の計画に協力してほしい」
「……計画?」

目を袖で拭い、先生の方を向く。先生は続ける。

「佐久真君や伊方君のような魔法困窮者を支援する団体を立ち上げようと考えている。田中君も団体の一員になってほしい」
「ええと、その」曖昧な声で返す。「お誘いは光栄なのですが、なぜ、私に」
「私も君と同じだからだよ」

先生は目を細め、前を向いたままはっきりと喋る。

「佐久真君と伊方君を殺したのは私だと思っている。伊方君の身に何か起きていたことも、佐久真君が蘇生魔法を使う可能性も、私は察していた。なのに助けなかった」

テーブルに置いた手の指先が少し引く。

「私は二人を見殺しにした。今回だけではない。大事な人を自ら手放した私には、もう生きる意味が無い」

生きる意味が無い。その言葉に胸が締まる。手を組む。

「だが自死は違う」言い放つ。「自死すれば、佐久真君の自死を認めることになる。たとえどれだけ私が孤独でも、自死はしない」

先生はテーブルの角を回り、私の前でかがむ。目線がわずかに上でそろう。

「生きる意味が無いなら作ればいい。人を殺したなら償うべきだ。私たちにはできることがある」

差し出された手が広がる。しわの刻まれた手は大きく伸びて滑らかだ。鋭い目に大きく光が浮かぶ。穏やかなのに熱い声がする。

「同じ気持ちの君だからこそ頼みたい。私と共に来てくれないか」

忘れていた瞬きと共に口を結ぶ。立ち上がる。

「わたしも同じ気持ちです。……自信はありません。でも、何もしないこともできない」

組んでいた手を離し、伸ばす。両手で先生の手を包む。温かかった。しわを潰さないように、だけど決して離れないように、力を込める。

「わたしでよければ、お手伝いさせてください」

先生の顔が少し緩み、目尻と口端を優しく引く。

「ありがとう」

また胸が締まる。鼓動が早い。唇を押し合いながら内に丸め込む。

ああ、わたし、二度と死ねない。

先生、ごめんなさい。わたし他人のためにはがんばれません。身勝手な生き方は変えられません。でも、だからこそ、二度と誰かの死ぬ理由にはなりたくない。

顔が熱くなる。潤んだ目で訴えかける。

優しい先生。わたしも死にません。だってわたしが死んだら先生が悲しむ。

二度と大切な人を悲しませない。

これがわたしの生きる意味です。


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