愛まほ短編小説『師友』
概要
- 拙作ゲーム『愛とはあなたを破壊する魔法』の短編小説です。
- ED3後の千葉導玄のお話です。
本編
死を見送った者の顔だった。眠そうな目にはくまが沈んでいて、私を見て柔らかく目尻を引いた。口は薄く笑っているのに、眉は少し困っている。黒いくせっ毛はいつもよりまとまりがない。
「おはようございます、店長」
佐久真旭君の第一声だった。私も「おはよう」と言った。それだけだった。
彼になんと言葉をかければよかったのだろう。
古本屋未来堂は正月も通常営業である。だからといって誰が来るでもない。
二階の台所で雑煮を準備する。居間の方を盗み見る。佐久真君はテーブルに頬づえを突き、ぼうっとテレビを眺めていた。
お盆をテーブルに置く。佐久真君はお盆に向きなおり、私が座るのを見計らってから手を合わせる。私も手を合わせて、佐久真君に続いて食べ始めた。
テレビだけが喋っている。華やかなスタジオで見世物が行われていた。花吹雪を出したり、玉を浮かせたり。白塗りの男性が出した花火が自身の臀部に当たり、「消してくれ」と言いながら駆け回る。笑い声が鳴る。
「くだらない」私が鼻を鳴らす。「誰かがマネしたらどうするつもりなんだ」
佐久真君は少し箸を下ろし、「そうですね」と苦笑した。私が押し黙ったのを見て、彼は雑煮に手を付ける。
……自分が嫌になる。なぜ気の利いた言葉の一つでも出ないのか。
私は頭の中で話題をいくつか見繕う。三口ほど食べ進めた後、話を切り出した。
「そういえば、こたつを譲り受けることになった」
「こたつ?」きょとんとする。
「友人が電気こたつを開発してね。だが私はこたつを使わない。君はどうかと思ってね」
佐久真君は眉をハの字に上げる。
「こたつなんて夢みたいです。暖房器具は魔法物ばっかりなので。でも俺、その、店長からはいただいてばかりで」
煮え切らない言葉に、私はつい微笑んでしまう。彼らしいと思う。
私は優しく言う。
「君の家にはよく友人が来るのだろう。共に入って暖まるといい」
佐久真君の手が止まった。口を開き、閉じきらず、小さい声で口をつく。
「友人は、死んだんです」
私の手も止まる。彼はためらいながらも続ける。
「この間連絡した日、葬式をしたんです。だから、友人はもう……」
彼は目を伏せる。私の見開いた目の裏で一つの記憶が駆けた。
「蘇生魔法を使わなかったのか」
息が止まる。佐久真君は口を結び、頭を垂れる。
あの日を思い出す。珍しく彼から連絡があった。地元に帰っている、私のファンがいる、蘇生魔法が使えるかと言う。質問しているというのに最初から使えるかのような口ぶりだった。
「使えなかったんです」
箸を盆に置く。落ちた、という方が似つかわしい。
「使うつもりでした。直前までそうだったんです。でも……、生き返ったアイツがなんて言うかって考えたら、どうしても、使えなかった」
佐久真君は椅子を引き、膝に手を置くと、低く下げた頭をさらに下げる。
「店長、すみません」
「君が謝ることは無いだろう」眉を下げる。
「でも、謝らないと。俺は、店長にとって蘇生魔法がどういうものか知ってて、使おうとしてしまった」
手を握る。ずっと頭を下げている彼を見て、私は思考をゆっくり回し、言葉を取り出す。
「君は正しい」強く、高くも低くもなく説く。「蘇生は人理に反する。欲に任せて選択することは簡単だろう。だが欲に溺れれば本当に大切なものを見失う。君は欲に勝ち、友人を正しく見送った。……私にはできなかったことだ」
彼は息を大きく吸うと、拳を額に押し当てる。
「俺は正しかったんでしょうか」
「なぜそう思う」
「そもそも……俺が選択を間違えなければ、伊方は死ななかった。俺がアイツを生かしてやれる手があるなら、何に変えてもしてやるべきだった」
袖ごと手首を目元に押し当てる。鼻をすする。
「ずっと考えてるんです。俺が、死ぬべきだったんじゃないかって」
私は静かに立ち上がり、彼の肩に腕を添える。震えていた。肩を胸に引き寄せて、緩く叩く。自然と言葉が出た。
「私は君が生きていてうれしいよ」
一瞬止まった嗚咽が、またこらえながら鳴り出す。背中が硬くなっているのを感じた。彼は、つむじを私の胸に当てると、何も言わずに泣き続けた。
テレビで次の演目が始まる頃、佐久真君はゆっくりと顔を上げた。
「すみません、急にこんな」
私は彼へ向いたまま席に着く。
「いいさ、ずっと張り詰めていたのだろう」
彼にティッシュを手渡す。彼は二度鼻をかんで、それから箸を手に取った。
「ごはん、食べちゃいますね」
涙の残った目で笑う。私も箸を手に取って、ふと口をつく。
「昼食が終わったら出かけよう」
「えっ」
「そうだな、買い出しだ。荷物を運んでくれないか」
佐久真君は喉なりを抑えながら喋る。
「でも店長、いつも一人で行ってますよね」
「近頃は体が弱ってね、君の助けが必要だ」
「店番は」
「どうせ誰もこないだろう?」にやりとする。
「そうですけど……」
彼は首を傾げたが、
「わかりました。荷物持ちしかできませんけど」
と、いつものようにつぶやいた。
私は目を伏せて、小さく口端を持ち上げる。
これはおまじないだ。私と買い物に行く間、君が死ぬことはない。
大切な人が死んだとき、私は君のように笑えなかった。私は弱かった。だが君も、本質は同じなのだろう。
大切な人と共に生きる理由を失ってしまった。
それでも私は生きていた。妻が死んだ後、私の生きる理由は娘だった。娘が死んだ後は、遺言だった。君が来てからは、君だった。この店を潰して君を路頭に迷わせることはできなかった。
だから、君に貰ったものを返そう。
生きる理由を増やしていこう。店番、荷物持ち、掃除、料理。今は何でもいい。少しずつでいい。手放すには少し惜しいものをだ。
何年後、それが君の中で大きくなる。手放せないものを腕一杯に抱えている。そうしていつか、君が、「生きていていい」と自分に言えるように。
これが私の生きる意味だ。