愛まほ短編小説『師友』

2025年1月11日

目次
  1. 概要
  2. 本編

概要

本編

死を見送った者の顔だった。眠そうな目にはくまが沈んでいて、私を見て柔らかく目尻を引いた。口は薄く笑っているのに、眉は少し困っている。黒いくせっ毛はいつもよりまとまりがない。

「おはようございます、店長」

佐久真旭君の第一声だった。私も「おはよう」と言った。それだけだった。

彼になんと言葉をかければよかったのだろう。

古本屋未来堂は正月も通常営業である。だからといって誰が来るでもない。

二階の台所で雑煮を準備する。居間の方を盗み見る。佐久真君はテーブルに頬づえを突き、ぼうっとテレビを眺めていた。

お盆をテーブルに置く。佐久真君はお盆に向きなおり、私が座るのを見計らってから手を合わせる。私も手を合わせて、佐久真君に続いて食べ始めた。

テレビだけが喋っている。華やかなスタジオで見世物が行われていた。花吹雪を出したり、玉を浮かせたり。白塗りの男性が出した花火が自身の臀部に当たり、「消してくれ」と言いながら駆け回る。笑い声が鳴る。

「くだらない」私が鼻を鳴らす。「誰かがマネしたらどうするつもりなんだ」

佐久真君は少し箸を下ろし、「そうですね」と苦笑した。私が押し黙ったのを見て、彼は雑煮に手を付ける。

……自分が嫌になる。なぜ気の利いた言葉の一つでも出ないのか。

私は頭の中で話題をいくつか見繕う。三口ほど食べ進めた後、話を切り出した。

「そういえば、こたつを譲り受けることになった」
「こたつ?」きょとんとする。
「友人が電気こたつを開発してね。だが私はこたつを使わない。君はどうかと思ってね」

佐久真君は眉をハの字に上げる。

「こたつなんて夢みたいです。暖房器具は魔法物ばっかりなので。でも俺、その、店長からはいただいてばかりで」

煮え切らない言葉に、私はつい微笑んでしまう。彼らしいと思う。

私は優しく言う。

「君の家にはよく友人が来るのだろう。共に入って暖まるといい」

佐久真君の手が止まった。口を開き、閉じきらず、小さい声で口をつく。

「友人は、死んだんです」

私の手も止まる。彼はためらいながらも続ける。

「この間連絡した日、葬式をしたんです。だから、友人はもう……」

彼は目を伏せる。私の見開いた目の裏で一つの記憶が駆けた。

「蘇生魔法を使わなかったのか」

息が止まる。佐久真君は口を結び、頭を垂れる。

あの日を思い出す。珍しく彼から連絡があった。地元に帰っている、私のファンがいる、蘇生魔法が使えるかと言う。質問しているというのに最初から使えるかのような口ぶりだった。

「使えなかったんです」

箸を盆に置く。落ちた、という方が似つかわしい。

「使うつもりでした。直前までそうだったんです。でも……、生き返ったアイツがなんて言うかって考えたら、どうしても、使えなかった」

佐久真君は椅子を引き、膝に手を置くと、低く下げた頭をさらに下げる。

「店長、すみません」
「君が謝ることは無いだろう」眉を下げる。
「でも、謝らないと。俺は、店長にとって蘇生魔法がどういうものか知ってて、使おうとしてしまった」

手を握る。ずっと頭を下げている彼を見て、私は思考をゆっくり回し、言葉を取り出す。

「君は正しい」強く、高くも低くもなく説く。「蘇生は人理に反する。欲に任せて選択することは簡単だろう。だが欲に溺れれば本当に大切なものを見失う。君は欲に勝ち、友人を正しく見送った。……私にはできなかったことだ」

彼は息を大きく吸うと、拳を額に押し当てる。

「俺は正しかったんでしょうか」

「なぜそう思う」

「そもそも……俺が選択を間違えなければ、伊方は死ななかった。俺がアイツを生かしてやれる手があるなら、何に変えてもしてやるべきだった」

袖ごと手首を目元に押し当てる。鼻をすする。

「ずっと考えてるんです。俺が、死ぬべきだったんじゃないかって」

私は静かに立ち上がり、彼の肩に腕を添える。震えていた。肩を胸に引き寄せて、緩く叩く。自然と言葉が出た。

「私は君が生きていてうれしいよ」

一瞬止まった嗚咽が、またこらえながら鳴り出す。背中が硬くなっているのを感じた。彼は、つむじを私の胸に当てると、何も言わずに泣き続けた。

テレビで次の演目が始まる頃、佐久真君はゆっくりと顔を上げた。

「すみません、急にこんな」

私は彼へ向いたまま席に着く。

「いいさ、ずっと張り詰めていたのだろう」

彼にティッシュを手渡す。彼は二度鼻をかんで、それから箸を手に取った。

「ごはん、食べちゃいますね」

涙の残った目で笑う。私も箸を手に取って、ふと口をつく。

「昼食が終わったら出かけよう」
「えっ」
「そうだな、買い出しだ。荷物を運んでくれないか」

佐久真君は喉なりを抑えながら喋る。

「でも店長、いつも一人で行ってますよね」
「近頃は体が弱ってね、君の助けが必要だ」
「店番は」
「どうせ誰もこないだろう?」にやりとする。
「そうですけど……」

彼は首を傾げたが、

「わかりました。荷物持ちしかできませんけど」

と、いつものようにつぶやいた。

私は目を伏せて、小さく口端を持ち上げる。

これはおまじないだ。私と買い物に行く間、君が死ぬことはない。

大切な人が死んだとき、私は君のように笑えなかった。私は弱かった。だが君も、本質は同じなのだろう。

大切な人と共に生きる理由を失ってしまった。

それでも私は生きていた。妻が死んだ後、私の生きる理由は娘だった。娘が死んだ後は、遺言だった。君が来てからは、君だった。この店を潰して君を路頭に迷わせることはできなかった。

だから、君に貰ったものを返そう。

生きる理由を増やしていこう。店番、荷物持ち、掃除、料理。今は何でもいい。少しずつでいい。手放すには少し惜しいものをだ。

何年後、それが君の中で大きくなる。手放せないものを腕一杯に抱えている。そうしていつか、君が、「生きていていい」と自分に言えるように。

これが私の生きる意味だ。


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