とな天短編小説『偽善者』

2024年10月12日

目次
  1. 概要
  2. 本編

概要

本編

黒く小さい手を組み、君は顎を引く。耳の上で切りそろえた黒髪が風に揺れた。長い前髪から伏せた目が覗く。結んだ唇に軽く力を乗せている。

校舎裏の片隅、フェンスの側。そこで君は地に膝を突いていた。眼前には頭ほどの大きさをした土の山がある。君が埋めた墓だ。

君ほど素晴らしい偽善者はこの世にいないだろう。

遠くから眺めていた僕は君に近づいた。君は大きく顔を上げ、小さく驚く。

「弥くん」
「ヒサは今日も祈っているんだね」

僕は柔らかさ意識して笑いかける。

「もしかして、見てた?」

ヒサの表情はあまり変わらない。

「たまにね」

感情視認能力を使い、ヒサの感情を直視する。膨大な希死念慮と不明な感情が真っ先に目に入る。天使であるヒサ特有のこの感情は未だに慣れない。だが天使の感情の裏で、恥の感情がかすかに動いていた。

僕はヒサの隣にかがみ、墓を見る。これは先々月ヒサと共に造った墓だ。校舎裏でヒサが鳥の死体を見つけ、墓の造り方に困っていた。僕が墓の造り方を教え、共に死体を埋めた。

「令城から聞いたよ。ヒサが毎日墓参りをしているって」
「最近は月命日だけだよ。談くんに怒られちゃったから」
「怒る?」
「『造る度に毎日墓参りする羽目になって、いつかひーくんの体が足りなくなっちゃうでしょ』、って」眉が少しハの字に傾く。「確かにそうだ、って思っちゃった」
「確かにね」

わざと苦笑してみせる。二人のやりとりはすでに知っていた。感情視認能力で盗み見ていたからだ。ダンの言葉に珍しく首肯の感情が生まれたのをよく覚えている。僕が先に言おうとしていたくらいだった。

考えてみれば簡単なことだ。だがヒサなら容易に気づけないのも自明だ。ヒサにとって毎日祈ることは至極当たり前の発想だっただろう。

僕はふと思いついた疑問かのように尋ねる。

「ヒサは、どうしてそこまで熱心に祈れるんだ」

ヒサはきょとんとする。視線を墓に向け、だが遠くを見るような目で、じっとする。少ししてから口を開いた。

「俺は自分が熱心だとは思ってないよ」

淡々と、明瞭に、言葉をつなげる。

「俺は寂しかったんだ。この子は、誰も知らぬまま、この子を大事に思う生き物すら知らぬまま、死んでしまった。他の生き物はこの墓を知り得ない。この子があの世で、誰の祈りも知らないままでいるのは、寂しかったんだ。だからせめて、この墓を知っている俺は祈ってあげたいんだ。それが、人には少し不思議に見えるのかもしれない」

つぐんでいた僕は、ためらってから、微笑んだ。

「ヒサは優しいね。僕は考えもしなかった。僕もこの墓のことを知っていたのにね」

ヒサはハッとして、目を見開いて焦る。

「ご、ごめん。責めるつもりじゃなかったんだ。」丸めた肩を落とす「あの、俺が勝手にやってるだけだから」
「わかっているよ」

ヒサはもう一度「ごめん」と言い、しょぼくれる。

「えっと、俺は弥くんも優しいと思うよ」
「そうかな」少し目を伏せる。
「そうだよ」顔が明るくなる。「だって俺、弥くんがいなかったらお墓造れなかったよ。シャベル借りるのとか、掘るのとか、色々手伝ってもらったし」

ヒサは両膝に手を突いて、僕を見上げるように首を傾ける。

「ありがとう、弥くん」
「どういたしまして」

僕はにっこり笑う。「そうだ」、と話題を切り替える。

「僕も彼に祈っていいかな」

ヒサは数回瞬く。

「どうして俺に聞くの?」

僕も瞬く。頭の中からすばやく言葉を探し出し、つっかえかけた喉から声を出す。

「ヒサと一緒に祈ろうと思って。だめかな」
「そういうことかあ。もちろんだよ。きっとこの子も喜ぶよ」

墓へと向きなおり、君の笑顔がふっと静まる。目を閉じる。手を組み、顎へ寄せる。

僕も手を組み、軽く目を閉じる。暗闇を見ながら思考する。

君の祈りは虚構だ。ヒサは天使であり、死を最善とする価値観を持つ。積極的に他者を殺そうとする存在だ。天使が死者を哀れむのは矛盾している。さもなくば死を喜ぶための祈りであり、死者への冒涜ではないか。

強く手を握る。

君は偽善者だ。

僕も偽善者である。

僕が墓造りを手伝ったのは、ヒサが恩義を感じることで少しでも交渉を有利にするためだ。

僕はヒサが発見するより前から死体を知っていた。僕以外の人間も知っていた。校門の前で野垂れ死んでいれば誰だって気がつく。君が来るまで誰も埋葬しようとしなかった。

君が毎日墓参りをしていることも知っていた。僕にはできなかった。死者に祈ったところで何が生まれるだろう。誰も知らない、無視するような命ならなおさら。

薄く目を開けてヒサを盗み見る。君は背筋を張り、前傾気味にうつむく。体の力は抜けているのに微動だにしない。君の意識は遠くにあった。夢を見るような表情から、語りかける言葉が今にも聞こえそうだ。

感情を見る。渦巻く天使の感情を掘り出していけば、死者の幸福を願う感情が浮かび上がる。かすかだが、消え入ることなく、留まっている。

その感情を自分の中に見つけられない。

唇をかむ。何が違うと言うのだろう。同じように墓を掘り、埋め、膝を突き、祈る。全て回り回れば自分のためだ。

それでもどうしようもなく理解する。僕は君のように祈れない。

もう一度目をつむり、墓へ顔を向ける。君の願いを見つめながら、指に、眉間に、肩に、力を込めて、手を額に貼り付ける。死者に祈ることはできない。だが君の願いに祈る。

胃が引き締められる。君の願いを祈ろうが、墓を造ろうが、僕が善人になることはない。

僕の祈りが彼に届かないようにと願う。こんな身勝手さを誰が喜ぶだろう。偽善者であることから目を背けるために、転がっていた善人仕草に必死ですがりつくような声を。

僕に死者を祈る資格は無い。

それでも、同じ偽善者なら、君のようにありたかった。


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