とな天短編小説『偽善者』
概要
- 拙作ゲーム『となりのクラスの知らないあの子は天使になったんだ』を題材とした短編小説です。
- 九十九と黒井弥吉のお話です。
本編
黒く小さい手を組み、君は顎を引く。耳の上で切りそろえた黒髪が風に揺れた。長い前髪から伏せた目が覗く。結んだ唇に軽く力を乗せている。
校舎裏の片隅、フェンスの側。そこで君は地に膝を突いていた。眼前には頭ほどの大きさをした土の山がある。君が埋めた墓だ。
君ほど素晴らしい偽善者はこの世にいないだろう。
遠くから眺めていた僕は君に近づいた。君は大きく顔を上げ、小さく驚く。
「弥くん」
「ヒサは今日も祈っているんだね」
僕は柔らかさ意識して笑いかける。
「もしかして、見てた?」
ヒサの表情はあまり変わらない。
「たまにね」
感情視認能力を使い、ヒサの感情を直視する。膨大な希死念慮と不明な感情が真っ先に目に入る。天使であるヒサ特有のこの感情は未だに慣れない。だが天使の感情の裏で、恥の感情がかすかに動いていた。
僕はヒサの隣にかがみ、墓を見る。これは先々月ヒサと共に造った墓だ。校舎裏でヒサが鳥の死体を見つけ、墓の造り方に困っていた。僕が墓の造り方を教え、共に死体を埋めた。
「令城から聞いたよ。ヒサが毎日墓参りをしているって」
「最近は月命日だけだよ。談くんに怒られちゃったから」
「怒る?」
「『造る度に毎日墓参りする羽目になって、いつかひーくんの体が足りなくなっちゃうでしょ』、って」眉が少しハの字に傾く。「確かにそうだ、って思っちゃった」
「確かにね」
わざと苦笑してみせる。二人のやりとりはすでに知っていた。感情視認能力で盗み見ていたからだ。ダンの言葉に珍しく首肯の感情が生まれたのをよく覚えている。僕が先に言おうとしていたくらいだった。
考えてみれば簡単なことだ。だがヒサなら容易に気づけないのも自明だ。ヒサにとって毎日祈ることは至極当たり前の発想だっただろう。
僕はふと思いついた疑問かのように尋ねる。
「ヒサは、どうしてそこまで熱心に祈れるんだ」
ヒサはきょとんとする。視線を墓に向け、だが遠くを見るような目で、じっとする。少ししてから口を開いた。
「俺は自分が熱心だとは思ってないよ」
淡々と、明瞭に、言葉をつなげる。
「俺は寂しかったんだ。この子は、誰も知らぬまま、この子を大事に思う生き物すら知らぬまま、死んでしまった。他の生き物はこの墓を知り得ない。この子があの世で、誰の祈りも知らないままでいるのは、寂しかったんだ。だからせめて、この墓を知っている俺は祈ってあげたいんだ。それが、人には少し不思議に見えるのかもしれない」
つぐんでいた僕は、ためらってから、微笑んだ。
「ヒサは優しいね。僕は考えもしなかった。僕もこの墓のことを知っていたのにね」
ヒサはハッとして、目を見開いて焦る。
「ご、ごめん。責めるつもりじゃなかったんだ。」丸めた肩を落とす「あの、俺が勝手にやってるだけだから」
「わかっているよ」
ヒサはもう一度「ごめん」と言い、しょぼくれる。
「えっと、俺は弥くんも優しいと思うよ」
「そうかな」少し目を伏せる。
「そうだよ」顔が明るくなる。「だって俺、弥くんがいなかったらお墓造れなかったよ。シャベル借りるのとか、掘るのとか、色々手伝ってもらったし」
ヒサは両膝に手を突いて、僕を見上げるように首を傾ける。
「ありがとう、弥くん」
「どういたしまして」
僕はにっこり笑う。「そうだ」、と話題を切り替える。
「僕も彼に祈っていいかな」
ヒサは数回瞬く。
「どうして俺に聞くの?」
僕も瞬く。頭の中からすばやく言葉を探し出し、つっかえかけた喉から声を出す。
「ヒサと一緒に祈ろうと思って。だめかな」
「そういうことかあ。もちろんだよ。きっとこの子も喜ぶよ」
墓へと向きなおり、君の笑顔がふっと静まる。目を閉じる。手を組み、顎へ寄せる。
僕も手を組み、軽く目を閉じる。暗闇を見ながら思考する。
君の祈りは虚構だ。ヒサは天使であり、死を最善とする価値観を持つ。積極的に他者を殺そうとする存在だ。天使が死者を哀れむのは矛盾している。さもなくば死を喜ぶための祈りであり、死者への冒涜ではないか。
強く手を握る。
君は偽善者だ。
僕も偽善者である。
僕が墓造りを手伝ったのは、ヒサが恩義を感じることで少しでも交渉を有利にするためだ。
僕はヒサが発見するより前から死体を知っていた。僕以外の人間も知っていた。校門の前で野垂れ死んでいれば誰だって気がつく。君が来るまで誰も埋葬しようとしなかった。
君が毎日墓参りをしていることも知っていた。僕にはできなかった。死者に祈ったところで何が生まれるだろう。誰も知らない、無視するような命ならなおさら。
薄く目を開けてヒサを盗み見る。君は背筋を張り、前傾気味にうつむく。体の力は抜けているのに微動だにしない。君の意識は遠くにあった。夢を見るような表情から、語りかける言葉が今にも聞こえそうだ。
感情を見る。渦巻く天使の感情を掘り出していけば、死者の幸福を願う感情が浮かび上がる。かすかだが、消え入ることなく、留まっている。
その感情を自分の中に見つけられない。
唇をかむ。何が違うと言うのだろう。同じように墓を掘り、埋め、膝を突き、祈る。全て回り回れば自分のためだ。
それでもどうしようもなく理解する。僕は君のように祈れない。
もう一度目をつむり、墓へ顔を向ける。君の願いを見つめながら、指に、眉間に、肩に、力を込めて、手を額に貼り付ける。死者に祈ることはできない。だが君の願いに祈る。
胃が引き締められる。君の願いを祈ろうが、墓を造ろうが、僕が善人になることはない。
僕の祈りが彼に届かないようにと願う。こんな身勝手さを誰が喜ぶだろう。偽善者であることから目を背けるために、転がっていた善人仕草に必死ですがりつくような声を。
僕に死者を祈る資格は無い。
それでも、同じ偽善者なら、君のようにありたかった。