ニチアヲ二次創作短編小説『海がさらう前に』
概要
- 四方通ニチ×口無アヲの二次創作短編小説です。
- 現状不明な設定などを自己解釈で書いています。
- 病院を出て地獄から帰還後の二人のイメージです。
本編
海にさらわれてしまうんじゃないか、と思った。水平線から広がった空と海を高くから太陽が見下ろす。海を見つめる口無アヲの瞳は、海も空も映し取って波の様に輝いている。もっとよく見ようと身を乗り出すアヲに、四方通ニチは眉尻を下げる。
少し強い海風が吹いて、アヲが髪とスカートを押さえる。青いワンピースが腕を抜けようとはためく。足がよろめく。ニチが手を差し伸べようとして、アヲは転ぶ寸前で持ちこたえる。
「大丈夫です、少しバランスを崩しただけですから」
向こうも見てみましょう、とアヲが歩き出す。ニチもついて行く。
今日は現世デートの日だ。美術館やカフェを巡って、最後にアヲからの要望で海を見に来た。
はしゃいでるなあ、とニチは思う。大きく表情の変わらないアヲだが、わずかに目を見開いて、全ての風景を目に収めようと張り切っている。いつもはゆっくり歩くか、誰かに歩幅を合わせようとするのに、青いパンプスがぴょこぴょこ跳ね、時々砂に呑まれながら、ニチより二、三歩先を進んでいる。
「あっ」
他より一段深くなった砂にアヲの足が嵌まり、つんのめる。反射的に前に出した手が砂浜に触れることは無かった。倒れる一瞬の間に、ニチがアヲの腰に腕を回して受け止めていた。ニチはアヲを抱き直し、お姫様抱っこをする。
「ニ、ニチ」
アヲは慌てて周囲を見る。他の人間に目もくれずニチは砂浜を横切り、コンクリートの歩道にアヲを下ろすと、目を細めて微笑む。
「アヲ、ちょっとはしゃぎすぎ」
「……すみません」
アヲがうつむく。手を組もうとして、ニチの手が掌に差し込まれる。指を絡めて右手を奪っていく。閉じ込めるように握って胸に引き込む。
「一緒に来たんだから、一緒に歩こう」
「は、はい」
ニチに手を引かれるまま歩き出す。
歩道では色々な人とすれ違う。家族連れの観光客、近所から遊びに来たような学生たち、サングラスをかけたランナー。背後で自転車のベルが鳴り、ニチは前を見たままアヲの手を自らの方へ引く。アヲは照れながら視線を少し下げ、できる限りニチへ肩を寄せる。
「足、大丈夫?」
ニチが不意に呟く。
「足ですか? 特に損傷などはしていませんよ」
「や、今日いっぱい歩いたじゃん? 疲れてないかなって」
「そういう意味でしたか。大丈夫ですよ、まだ問題無く歩けます」
「ならいいんだけど」
ニチが海を見るように顔を背ける。
「おれまだアヲと色んなとこ行きたいからさ。こう、歩かせすぎて足壊させたりしたら、やだなって」
ためらいがちに言葉を付け足す。
「行きたいとこがあるなら車椅子でも抱っこでも連れて行くけどね」
「……ニチ」
海を見たままのニチにもう一度呼びかける。
「ニチ」
ばつが悪そうにアヲを見る。寂しげな顔は、涙をこらえているようにも見えた。アヲは優しく笑いかける。
「また今日のように出かけましょう。今度はニチの好きなところへ」
「うん」
「行きたいところにいくつでも行きましょう。何度でもまた訪れましょう」
「……うん」
「でも、私一人では叶わないこともあると思います。……それでもニチは、また私を連れ出してくれますか」
息を吸う。
「連れて行くよ、必ず、どんなことをしてでも」
二人は足を止める。歩道から堤防へ出られる道があった。
「行ってみましょうか」
堤防の先端へ進む。視界から陸が消えて、海と空で満たされる。ニチはアヲを見る。アヲは前だけを見ていて、その瞳はまた海と空を映している。うっとりとまぶたを下げ、自然と足が一歩出る。海風が吹く。風がワンピースを連れて行ってアヲの体が揺れる。手を引き込む。
目も服も足も海に染まっている。もしこのまま海に落ちたら誰も気づかないんじゃないか、とニチは怖くなる。自分すら気づかなかったらと思うと余計に怖くなる。
海にさらわれてしまうんじゃないか、と思った。海が君をさらっていくなら、この世にある海を全て更地にしてやりたかった。
ニチは薄く唇を噛む。それでもおれは、今おれができることをするだけだ、と思う。そうして手を握りしめた。