とな天短編小説『友食いのカマキリ』

概要
- 拙作ゲーム『となりのクラスの知らないあの子は天使になったんだ』の短編小説です。
- ED3の黒井弥吉のお話です。
- 人間の昆虫化、昆虫化した人間による人間の捕食シーンが含まれます。捕食シーンに臓器や血液は出ません。
本編
親子が朝焼けの影になる。端の見えない湖一面に紅蓮が咲き誇り、黒蝶の大群が朝日を目指す。朝日から伸びる石畳を、坊主頭の大柄な父親と、うねるセミロングの小柄な少年が、手を繋いで歩いていた。父親が肩ごと頭を下げて話しかけると、少年は顔を上げてはつらつと返す。
僕は走り出し、振り返った父親に左腕を振り下ろした。腕はカマキリの鎌になっており、父親の首を挟んで持ち上げる。大顎で頭に食らいつく。血の代わりに黒蝶が吹き出した。
つま先まで食い尽くす。肩で息をする僕を、少年はじっと見つめていた。深くため息を吐いて、まぶたを落とし、見上げて言い放つ。
「死んでもバカは治らねぇな」
鎌で少年をなぎ払う。裂けた面から黒蝶に解けて、僕の背後へと一斉に流れる。振り返った先で蝶が集まり人間を成した。うねるセミロング。右目を前髪で隠し、ワイシャツをズボンに入れて、学ランは開けている。丸い瞳がにやつく。
「久しぶり。元気だった?」
令城談がヒラヒラと手を振る。僕は低く唸る。
「よくも平然と、僕の前に」
「その姿で言うと迫力が違うよ」
頭がふと冷める。恐る恐る水面を見ると、人間の形にカマキリを当てはめたような怪物が、白いワイシャツを着ていた。急に自分が恐ろしくなる。
令城がひょっこりと水面に現れる。
「黒井クンはカマキリになってもイケメンだ」
「……カマキリに美醜など無いだろう」
言葉でかみつきつつ、肩から力が抜ける。
周囲を見渡す。終わりのない蓮の湖。東の朝が西の夜へ。飛び続ける黒蝶。
「ここはどこだ」
「蝶蓮獄」すっと無になる。「この世界の地獄だ」
「君も落ちたというわけか」鼻で笑う。
「ボクはもう終わったのさ」ニヤリと笑う。
「……終わった?」
「とっくに罪を認めてもう天国。キミが心配で心配で、わざわざ会いに来てやったの」
忘れかけていた怒りが蘇る。
「余計なお世話だ」
「ホントはうれしいくせに。それとも……」顔を傾げて、上目にあざ笑う。「悔しいか? ボクだけ救われてるのが」
鎌を大きく振って首を狩る。もたげた首を僕の頭上より高く上げ、足が慣性に揺れる。学ランの襟越しにトゲが首を圧迫する。
令城は無表情で見下ろしている。それがまた癪に障る。
「僕を殺して英雄気取りか」
「罰は公正さ、イヤになるほど。ボクは認めた、キミは認められない。それだけの話だ」
顎を食いしばる。何が違うと言うんだ。人を殺し、父を殺し、友を殺し、殺された僕らの、何が。
鎌の圧を強める。令城は目を細める。ゆっくりと口端を引く。下唇を巻き込んで左端だけが高い。眉を困らせる。
「死んでもめんどくさいヤツ。でも、そんなヤツこそ、友達だからさ。ちゃんと言えよ」
蝶が眼前を横切る。通り過ぎた後に令城の顔は無い。もう一人の自分がいる。二重の垂れ目、濃い眉、二つ分けの前髪、親譲りの身長と老け顔。唇の厚みと黒髪だけが異なる。
貴方の笑顔は見たことがなかった。貴方は頬を緩め、眉をハの字に下げる。低く柔らかい声で語りかける。
「今まで寂しくさせてごめんな。もう一度、父さんとやりなおしてくれないか」
顎をかっぴらき、父の頭にかみついた。口から蝶があふれる。あふれた蝶も押さえ込むようにまたかみつく。粉っぽさでべたつく薄いプラスチックを割って食べるような味。だらんと垂れた体を鎌で抱き込み、口へ押し込んでいく。腰、膝、つま先と、言いたい言葉を全部、蝶と共に飲み込む。
今更、今更言うなよ。僕が欲しかった言葉を。
父から出た蝶が空に逃げていく。見上げると、シャツが肩からずり落ちた。もう肩も無い、体はすっかりカマキリの細さになった。体に引っかける布がやけに重い。
複眼に湖全体を収める。足下の蓮から一匹の蝶が飛び立った。その蝶は、後翅がぼろ布のように引き裂かれている。ゆらゆらと僕を周回する。鎌でしっしと振り払うが、蝶は軽やかにかわす。
蝶は頭に近づき、口先に止まった。ゆっくりと翅を開いて、静止する。口を何度か開けて蝶を揺らしたが、上手くバランスをとってそのままだ。
もう二匹、蝶が飛んできた。一匹はとても小さく、人の握りこぶしほどで、足が十二本ある。もう一匹はとても大きく、僕の頭よりもう一回り大きい。
二匹は鎌の縁と歯の間に止まって翅を広げる。鎌を振り回す。振り払った蝶はまた鎌に止まる。
膝を突いた。人間の膝だった。
涙が出た。複眼の広い視界はもう二匹の蝶だけを見ていて、大粒の涙に視界が潤む。しずくが落ちた側からまた落ちる。顔を上げると白い前髪が額にこすれて、顎から首筋に涙が垂れていく。涙を拭こうにも、腕には蝶が乗ったままだ。
唇に蝶が乗っている。軽い力で体を支えていた。数度翅を開閉して、ふわりと飛び立つ。顔の前で八の字のような、何かの文字のような軌道で踊る。
鼻をすする。口を突き出し、眉をしかめる。大きな涙声でがなる。
「わかったよ、言えばいいんだろ」
それを聞くと、蝶は手の甲に舞い降りて、体を休める。
両腕を掲げて、ささやいた。
「僕は、僕のまま、愛されたかったんだな」
空の蝶たちは誰も乱れることなく朝日を目指している。三匹の蝶も飛び立った。他の蝶に混ざっても、誰が誰だかわかる。
立ち上がる。ゆっくりと歩き出し、力強く踏み出して、飛び立つ。体は蝶になって落ち、他の蝶に追いつこうと必死になって翅を羽ばたかせる。
四匹で集まって飛ぶ。ボロボロの翅、足の多い体、一際大きい黒、傷の付いた模様。大きい蝶が一歩先を行き、遅れている多足の蝶を、ボロボロの蝶が見守る。傷の付いた僕は大きな蝶を追いかけつつ、後ろの二匹を気にする。
そのうち、皆とは離れた。だが、いつか会う。会えばわかる。
また、会いたいと思う。