とな天短編小説『ハーバリウムが終わるまで』

2025年8月9日

目次
  1. 概要
  2. 本編

概要

本編

明日、世界は滅亡する。そして世界は花になった。

朝起きたら布団に花が生えていた。茎とかも無く直接。見回した部屋にもポツポツと花。時計、机、ドア。そこに生けたみたいに自然と生えてる。

ハーバリウム現象。人類が未来に絶望して、一日が終わらなくなる。世界中に花が生え、やがてすべてが花で埋め尽くされると世界が終わる、らしい。聞いた話だ。

今日は八月三十一日。俺は二度寝した。また起きたときには花が増えていた。視界の半分くらい花だ。

足の踏み場を探しながら歩き、一階に下りる。洗面台に映る眠そうなおれ。それ以外は大体花。腹をかく。

台所で九十に会った。褐色肌にふわりとした黒髪。黒いTシャツ。丸い目の片方に白いスカートのような花が咲いてる。頭や指先にも、白いスカートの花や、青や白の細かい花が咲いている。花飾りと言われればそうだと思える。

「おはよう。よく眠れた?」九十が言う。
「眠りすぎなくらい」

おれが苦笑すると、九十はくすくす笑った。

夜になるともうぜんぶ花だった。電気が付かなくなって、半月の夜空がほのかに花を照らす。油の匂いがしていた。ぬるく蒸した空気が油で余計ぬめる。

おれと九十は縁側に座っていた。花を潰しても、潰した跡からすぐ生えてくる。なるべく自分は動かないようにしつつ、どうしても動くときは心で謝った。

家の門から数人入ってくる。全身花に覆われているけど、一番でかいのが利田先輩、次が黒井、最後が令城だと思う。

三人に駆け寄った九十は、先輩から受け取った四角い何かをおれに掲げて見せる。

「花火をやるよ!」高らかに宣言する。

おれは物置に行ってバケツを取り出す。外へ出て水道にバケツを置き、蛇口をひねる。水の代わりに花と油が流れた。

庭に置いたバケツを中心に、五人で輪になってしゃがみ、それぞれ花火を持つ。九十が手にした花のライターは、花火の先に花を灯した。百合がゆっくり咲き、橙に光る。

先輩、黒井、令城の体から、水を注ぐときのコポコポした音が鳴り合う。たぶん今のみんなの言葉。九十がささやく。

「うん、きれいだね」

九十はみんなの言葉がわかるらしい。九十の返しから会話の流れを読み取る。

「宿題は終わりそうだよ。やっぱり数学が残っちゃって。たしかに、みんなに教わればよかった」
「おれ、ちょっと見てたけど、段々飲み込み早くなってたよ」
「ほんと! 俺も成長してるってことかなぁ」

令城から高く小刻みな水の音がして、黒井から水を揺らした音がする。先輩は沸騰の音。

「うっ、新学期かあ。ついて行けるかな」
「おれが教えられるとこは教えるよ」

三人も息を合わせて水を鳴らす。黒井が先輩を見ながら低く唸って、先輩が大きく沸騰し、令城がポコポコ笑う。

ガッ、と水が詰まった音。先輩からだった。硬直した先輩は地面に倒れる。先輩の方へ出した手がためらった。地面から花が生え、先輩に絡みつく。油と生ゴミを数日置きっぱなしにした臭いがする。

黒井と令城は変わらず水を鳴らし合っている。九十は、目を伏せて、唇を内に押し込む。

「ニシくん。ちょっといいかな」

黒井たちに断りを入れて、花火をバケツに落とし、縁側に座る。二人で空を見上げる。いつもの何倍も星が見える。花畑の地上と、星の花畑。半月の周りが薄く光る。あの星たちも今頃花になっているのかもしれない。

九十は落ち着いた声でつぶやく。

「ごめんね、付き合わせて」
「付き合うって」
「みんな、未来がいやになっちゃったんだ。それで花になって終わることを選んだ。これは俺たちのわがままなんだ」

ハーバリウム現象のことだと理解する。おれは見上げたまま言葉を返す。

「九十は大丈夫か」
「うん。俺は、元からおかしいから。これ以上おかしくなれなかったみたい」

二人倒れる音。九十は独り言のように続ける。

「九月一日に世界が終わる。みんな心のどこかでわかっている。苦しいとわかっている未来を受け入れるのは、難しい。それなら、みんなで手を取り合って、優しく終われるなら。それを見届けるのは優しさなのかもしれない」

「……そうかもな」
「ニシくんは」目を合わせる。「苦しかったでしょう。それでも、付き合ってくれたね」

おれは首をかく。

「何もできないだけでもある。おれはたぶんみんなと死ねなくて、そういう世界の仕組みで。じゃあ、おれにできるのは、見守ることなのかなって」頬が緩む。「花になるみんなは、なんか穏やかでさ。世界が終わる前に、みんながゆっくりすごせる時間があるなら、おれは見守っていたかったんだ」自分の言葉に笑顔が歪む。「……おれ、間違ってるかな」

「そうかもね」目尻を引く。「でも、うれしいよ」

九十は立ち上がる。顎を引くと、瞳の白い花に指を添えて、ゆっくり引き出す。伸びた茎の尾が見えて、振り向く。

九十が差し出した花を、そっとつまんで受け取る。夜に目をこらす。眉を寄せた九十の、優しい微笑みから、花の香りがした。

九十が背を伸ばし、手を掲げる。手の先で花のライターから花がこぼれ落ちた。きらめくノズルをこめかみに押し当てる。油の風が鼻先を過ぎる。息を呑んだおれはつんのめりながら九十の腕に手を伸ばす。

「よき旅を!」

大きな音がした。飛び起きたときにはもうどんな音だったか思い出せなかった。ベッドの上で白い花を抱えていたおれは、見回した部屋が花のかけらも無い一般高校生の部屋だと知って、深く息を吐く。

ベッドに置いていたスマホを見る。九月一日。日の出には少し早い。おれはベッドに倒れ込み、二度寝した。


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