愛まほ短編小説『決意』

2024年11月9日

目次
  1. 概要
  2. 本編

概要

本編

生きた死体だ。飯と便所以外は寝腐っている。

日ざしが痛くてとっくにカーテンは閉めた。ダンボールとゴミの山に囲まれてオレは倒れ込んでいる。押し入れに頭を突っ込んで薄い敷き布団を枕にする。押し入れが暗いか、もっと暗いかで昼夜を知った。

油の臭いが漂っている。廊下に転がっているカップラーメンにも限りがある。終わりが来る前に起きられなくなる予感がした。

遠くで玄関の鍵が開く。ゆっくりと入ってきた足音に、間延びした声が続く。

「あ~あ、腐っちゃってまあ」
「……勝手に、入ってくんなよ」声が喉に引っかかる。
「死んでるかもしれねぇだろ?」

押し入れの隙間から顔がのぞき込む。童顔にひげがくっついてる。遊ばせた短い金髪。古い記憶から名前を探す。妻田だ。母親の客のヤクザ。オレが子どもの頃よりしわが増えた気がする。

妻田は軽い口調で笑う。

「ダチ死んで悲し~のはわかる。でも自分の体も大事にしねぇと。ダチもそう言ってるだろ?」

無視する。声のトーンが落ちる。

「遺された人間は、死んだ人間のために、今できることをやるべきなんじゃねぇのかい」
「お前に何がわかる」

目線を落とす。静かになる。

「そうかい」低く鳴る笑い声。「手前のダチは死に損だったなぁ」

見開いた目が妻田を捉える。距離を詰めてきた妻田の顔に白い歯がくっきり浮かぶ。

「せっかく命賭けたってのにこのザマだ。きっと地獄で泣いてるぜ」
「……は」眉間に力がこもる。
「わかんねぇか? 佐久真旭は手前程度に命売っぱらってまで大犯罪者の汚名着た大馬鹿野郎だっつってんだ!」

ふざけた高笑いを締め上げようと首に出した手から体が宙を回り、部屋に飛び出したオレは床に押しつけられてしまった。背に乗り上げた妻田が耳打ちする。

「だが一番の馬鹿はなぁ。馬鹿なダチ一人守れねぇ手前だよ、終」

引き絞った目に涙が混じる。あれほど冷めていた体が熱くなる。何も言い返せなかった。

食いしばり、鼻をすするオレに、妻田が頭の上から低くささやく。

「もし、変わりてぇって気持ちがあんなら。オレの計画に手ぇ貸さねぇか」
「誰が貸すか」
「いや、お前は貸すさ。なにせ――人を蘇らせる計画なんだから」

口が緩む。頭を上げる。喉鳴りが混ざる声をなるべく抑えてささやく。

「無理だ。魔法じゃ佐久真は蘇らない」
「魔法じゃないとしたら」

息を呑む。抑えられていた背中が軽くなり、振り返る。妻田はにやりと笑う。

「興味あり、って顔だな」

まぶたを伏せ瞳を上げる。妻田があぐらをかき、ももに腕を乗せ、頭を突き出す。

「まずは話だけでも聞いてけよ」

オレは軽く足を組み、背を曲げる。

空気は冷えている。風は無い。暗い部屋、互いの顔に目をこらす。

妻田は右耳の裏に手を当てる。手のひらに乗ったピアスには石の入ったガラスの容器がぶら下がっている。

「これ、オレの奥さん」

顔に移りかけた視線が戻る。ただのピアスだ。石も河原に転がっていそうだが、形は多少変わっていて、束ねて固まったパスタのようだ。

「魔法アレルギーでね。全身に魔法浴びせられて石になっちまった。お守りに髪の毛だけ拝借してるってわけ」

手をももに戻す。

「オレは魔法アレルギーで死んだ人間の蘇生を研究してる。だがねぇ、正直手詰まり。なにせサンプルが一つしかないから下手なことができない。そこで、佐久真くんを新しい実験台にしようってわけ」
「……事情はわかった。だがどう研究しようが、魔法じゃ蘇らない。不可能だ」

佐久真が死んだあの日、オレは突きつけられた。人間から人間は蘇る。砂から人間は蘇らない。それが魔法のルールだ。

妻田は言葉一つ一つを楽しそうに、なめるように語る。

「可能だ。それがオレの言う、魔法じゃないってことさ」

一度息を吐き、声の抑揚を薄める。

「そうだな、蘇生の先の話をしよう」

目が合う。円い瞳は、黒く、何も映さず、動かず、言う。

「オレの夢は魔法の根絶だ。せっかく蘇ったって、魔法があったまんまじゃまた元の苦労暮らしに逆戻り。だから魔法じゃない技術を確立し、魔法を滅ぼし、オレらだけが新技術を独占する。人類を奴隷にして、オレらが一生平和に暮らせる世界を造るんだ。
想像してみろ。アイツが日の光の下を歩いている。好きなときに好きなことをして、好きな服を着て、好きなところへ行って、好きな物を食べる。そんな普通の暮らしをやっと手に入れるんだ。オレはそれさえあればいいんだよ。大事な人さえ幸せなら、それでいい。
お前ならわかるだろ」

瞬く。眼前に手が伸びてくる。広げた手のひらの向こうで妻田が薄く口を引く。力強い声で言う。

「大事な人を死なせた事実は消えねぇ。だから遺された人間は、死んだ人間のために、今できることをできるやる。どうせ死ぬなら、大事な人のために死のうぜ」

静かだった体を心臓が揺らす。体が熱い。だが目は冴えていた。オレは妻田の手を取り、固く握り込む。妻田に手を引かれて立ち上がる。

玄関へ向かう背中について行く。足は軽かった。開いたドアから光を浴びる。顔を覆う真っ白な輝きから目を背ける。しぼんだまぶたと肩をこらえて、光をにらみながら歩き出す。

妻田を信じたわけじゃない。だけどオレは夢を見た。佐久真は日の光の下を歩いていた。開けた草原で、首の広いTシャツを着て、新しい本を読み、白いおにぎりを食べる。笑っている。それさえあればもう何もいらなかった。

佐久真の未来を創る。

これがオレの生きる意味だ。


navigation